みんな気持ちが悪いな。初めて会ったというのに私の髪や肩に鼻を押し付ける男も、私と目が会う度に「ん?」と笑いかけて「終電大丈夫?」と気遣いのひとつもない言葉を並べる男も、笑顔の仮面を剥がしきれずに差し伸べられた手を握る私も、みんなみんな、死ぬほど気持ちが悪い。


 浮気はどこからが浮気なのだろう。そんなことを考える時点でアウトのような気がするけれど。


 たとえばキスからが浮気なら、私はもう大罪を犯してしまっている。この間その日初めて会った男と4時間酒を飲んだあと、ふらふらしながら新宿の裏道で口付けを交わし、彼の「ほら、駅だよ?いいの?」に「帰らなきゃね」と返しながら、ふたりで新宿のホテルに足を踏み入れた。不倫や浮気のドラマでは「こんなはずじゃなかった」と女がよく泣いていて、それを私は「何がそんなはずじゃなかった、だよ」と呆れ顔をしていたけれど、あながち嘘ではないらしい。私だってそう思ったからだ。

翌日は仕事だったので7時にはホテルを出たのだが、家に帰ってシャワーを浴びている最中の罪悪感といったらなかった。自分に絶望したのは初めてだった。愛を囁いてくれる男がいながら、しかもその日は2ヶ月記念日で電話をする予定だったというのに、それがどうでもよくなるほど酒を飲んで、その日初めて会った年下の男と一夜を過ごしたのだ。遠距離だからとか、彼氏の束縛が強いからとか、そんなことはちっぽけなことだ。それが嫌だったから他の男とのアバンチュールを楽しんだ、だなんて、そんな言い訳が通用するわけがないのだ。


 彼氏は私の異変を感じる能力に長けていて、その日から数日間は何度も「好きだよ」と言ってきた。もし何かを感じ取っているとしても、墓場まで持っていく話だ、絶対に言うまい。


 ただ、そのアバンチュールが気持ち良かったのも事実だ。その行為が、ではなくて、危険なことをしていると心ではわかっていながら、それを絶対に見抜かれない自信があったことや、その日初めて会ったのにこうして求められていることや、何度も何度も私を抱きしめて「可愛い」と呟いたり、ベッドの上で何度も何度もキスをしたあと「表情が色っぽい」と笑われたり、そういう、そうだ、ああ、ここに自分はいるのだ、と思えることが気持ち良かったのだ、多分。言い訳のように聞こえても良いのだけれど、東京にいると少しずつ自分の感情や身体が削られていくと同時に、自分の輪郭が曖昧になっていくように感じるのだ。私という存在は何なのだろう、これだけ多くの人がいるのに私でなければならないことなんて何一つ無いように感じられるのだ。仮想世界とも言えるTwitterでのコミュニケーションなんて現実世界では何の役にも立たないと感じて、そして他人の生活や感情が私の心を蝕んでいくような気がして、辞めた。遠距離の彼氏は何度も「好きだ」と言うけれど、私に触れられない限り、私は自分が存在するとは信じられない。だから誰かに触れられたくて、私はここにちゃんと存在していて、求められるだけの人間なのだと思いたかったのだろう。そんな人間になることを1番嫌がっていたのに、私は本当に気持ちが悪い人間だ、こうして言葉にしなければ自分が1番なりたくない人間になっていると気がつけなかった。でもその彼も、実際は誰でもいいのだ。私は知っている、彼だって私と同じ。誰かに認められたくて、存在していてもいいのだと言われたくて、手を伸ばせば届く女がそこにいたから抱いたというだけ。一応言っておくが、最後まではしていない。