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「あやちゃんは本当に落ち着いているよね、十九歳だなんて信じられない」

 よく言われる言葉である。

「そんなことありませんよ、でも、ありがとうございます。」

 ここまでがワンセット、テンプレートである。

 今の仕事を始めてからと言うもの、数えきれない程この言葉をかけられてきたわけだが、どうしてこんな人間になってしまったのだろうと思う。いや、別に今の自分が嫌いなわけではない。ただ、世で言う「十九歳」とはもっとキャピキャピしていて、あらゆるものに対して「可愛い」と言い、インスタグラムには友達との写真をこれでもかというほど載せて、イイネの数で一喜一憂したりするイメージだと、私は勝手に思っているのだが、残念ながら私はそういったタイプの「十九歳」ではない。

 人に対して、というよりも世界に対して「諦めている」という表現が合うのかは私にもわからないが、それに近いだろう。多分、中学二年生の時にとある事件が起こった際、誰も助けてはくれなかったことが始まりだったように思う。「ああ、人間なんてそんなもんなんだ」と、私は中学二年生、十四歳の時に悟ってしまったのだった。

 昨日まで話していた友達も、私の味方であるようには見えたが誰もいじめを止めようとはしなかった。自分が標的にされるかもしれない。そう思っていたのかもしれない。きっとそうだ、私がもしあの子たちでも、きっと止められなかった。だから、仕方ないのだ。人間なんてそんなもん、私も、あの子たちも、あなたも。

 両親はもっと酷かった。私が小学四年生の時から単身赴任をしている父はとにかく厳しくて、正直ショック過ぎてあの頃の記憶は殆ど抜け落ちているのだが、こんな親なら死んだ方がマシだ、とすら思ったほどだった。世間体ばかりを気にしている父に心底ガッカリした。尊敬していた父は、社会に毒されたただのおじさんだった。学校を休んでいると何度も何度も叱られて、冷静に「ああ、この人は私が死んだとしても、どうして学校に行かなかったんだ、と言い続けるのだろうな」と思ったりもした。あの頃の父にとっては、私が死ぬよりも、世間体のほうが何億倍も大事だった。

 母は最初の頃はとにかくヒステリックで、私が学校に行かなくなると、夜に家を抜け出したこともあった。私も今ではもう大人になったので、父がいない家でひとり、弟と不登校の私の世話をすることに嫌気のひとつやふたつ差すだろうな、と思ったりもする。「私は生まれてきたくて生まれたんじゃない」と言った私の言葉が、どれだけ彼女の心臓を抉ったのかと思うと、心が痛い。しかし、私は本気だった。何度も死のうとして、死にきれなかった。中学二年のころから私のそんな不安定な姿を見てきた母は、次第に私の気持ちを分かってくれるようになった。高校編入を決めた際も、専門学校を辞める際も、最初こそヒステリックに泣いて私を批判していたけれど、最終的には「あなたが幸せになれるのなら」と承諾してくれたのだった。

 本当に馬鹿げている、と自分でも思うのだが、私は中学二年生で不登校になって、「死にたい」と漏らした時点で抱き締めてほしかったのだった。「死なないで、生きているだけでいいから」と言ってほしいだけだった。だけれど私の小さな願いが叶うのは、だいぶ先だった。教室からも、学校からも、家族からも突き放されて、私の居場所は私だけになった。私には、私しかいなかった。助けてほしいというSOSは誰にも届かなかったし、「そんなものを出しているうちはダメだ」と跳ね返されたりもした。だから私は「諦め」た。そうするほかなかったのだ、私が私を守るには。

 こうして私は、少しずつ人間を「諦めて」いった。それは自分以外の他の人間だけじゃなく、私自身も、だ。私は本当に何もできなくて、目の前にいる彼氏も、私の両親も、弟も、友達も、この文章を読んでくれているあなたも、何にもできないのだ。その程度の人間。勉強ができるとか優しいとか、そういう次元の話ではなくて。あなたを批判したいわけでもなくて。ただ、大切な人がもがき苦しんでいる時に「もっと頑張れ」とか「負けるな」とか「その程度で嫌になってたらこの先生きていけない」とか、そんな風に言う人間ばかりで、疲れてしまった。大人なんて、そんなもん。もう「父親なのに」とか「母親なのに」とか「大人なのに」と言って勝手に期待して絶望したくないし、期待などする価値もないのだ、どんな人間に対しても。

 中学二年生の時で、私の感情は消えた。もちろん、嬉しいとか楽しいとか悲しい、苦しいと感じることはある。だけれどそれは、中学二年までの「感情」とは別物なのだ。あの時確かに私の感情は死んだ。