読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「笑気ガス」。少しひんやりとする空気をすぅっと吸い込んだ。少しずつ頭がぼんやりとしてくる。歯科助手の女性が、私の歯茎の淵を器具でなぞる。そのガスを吸うと、痛みを感じなくなるらしい。 くすんだブルーのマニキュアを爪に伸ばした。今の私。 昨日は…

「仕方ない」 この言葉は便利だ。たった一言ですべてを終わらせることができる。何度この言葉に救われただろう。他人の自分勝手さに嫌気が差した時、どうしようもなく辛い時、この言葉を繰り返すだけで私の心はスーッと落ち着き、本当に「仕方ない」気がして…

あやちゃんと花火大会に行きたい。東京の花火大会は人すごいの?俺人混み苦手なんだよね。こっちだと大阪とか滋賀の花火大会が大きいよ。花火大会に行ったらなにか食べたいもの、ある?かき氷かあ、何味の?いちごかあ。かき氷って舌に色付くよね。あやちゃ…

人生は、驚きの連続だ。一年前の私は、これから始まる新しい日々への期待と不安に胸を膨らませファッション業界の門を叩いたというのに、今私はライターの仕事をしている。三か月前の私は数か月付き合っていた彼氏に別れを告げ、もう男は懲り懲りだと思って…

彼が「あやちゃんをぎゅってした時、いい匂いがした」と言った。あの日の帰り際、彼に抱き寄せられたことを思い返した。「ちょっとこっちに来て」と微笑む彼を不思議に思い、一歩、二歩と彼に近づくと、自分の「わっ」という驚きの声と共に、視界から彼の姿…

どこかで聞いたことがある。 「いい男は、女を気持ちよくさせるのが上手」だと。 勿論それは、ベッドに入ってからもそうなのだけれど、ベッドに入る前から、

待ち合わせは、品川駅の新幹線乗り場前だった。さほど緊張もせず、私は乗り場前を少しうろついた。反対側の南口に黒髪で遠めでも「ああ、イケメンなんだろうな」と感じる人がいた。それが、彼との出会いだった。 暫く北口前で立っていると彼から連絡が来た。…

目の前の彼女はよく笑う女の子になっていた。入学式の頃とは大違いだ。全然笑わない子だった。

もっと冷たい人間になりたかった。愛なんて知らなきゃよかった。たまにそう思うことがある。この人にも大切な人がいるからとか、根はいい人だからとか、そう思っていないわけではないけれど、無意識に誰かを悪く思うのは良くないことだと思っていて、自分の…

彼女を一言で表すならば間違いなく「自由」だ。彼女は、私の十九年間と四ヵ月半の人生で唯一、「自由だ」と思った人だ。誰にも靡かず自分を確かに持っている彼女は、入学式の日、そう、彼女と私の人生という名の道が交わった日から、いつも背筋をすっと伸ば…

彼と子供はやっぱり女の子が欲しい、というような話をした。きっと彼は、娘をこれでもかというほどに甘やかすだろう。どろどろのチョコレート風呂に浸かり、マシュマロやイチゴにそのチョコレートをつけて食べるように。 彼は言った。 「朝は俺が娘を自転車…

彼は私に対してどこまでもやさしい。いつだったか、私が今の仕事を始めたばかりのころに体調を崩したことがあった。その仕事は自分に合っていると思っていたけれど、ストレスが溜まるとすぐ身体に出ると知っている私は少しショックだった。そんな私を見て彼…

静かな夜だった。私はひとりで、コーンフレークをざくざくと握り潰した。明日は彼に出会って初めてのバレンタインデーだ。だが彼はいない。二十三時の飛行機で、ヨーロッパにあるマルタ共和国へと向かった。その日、彼の気配は一切しなかった。今日を入れた…

『不在が存在よりも濃い気配をつくる』 私は本を読むことが好きだ。本を読むと見える世界が広くなる。それまではただ通り過ぎていたが、本を読むことでいろいろなものが見えるようになる、気づくようになる。 ただ、時々言葉をうまく理解できない時がある。…

夢を見た。彼が、私の親友と付き合っているという夢だ。彼が記念日を忘れたのだと涙を流す彼女を慰めながら、彼がつけたのだろう、モノトーンのカレンダーに映える、記念日を囲う赤いハートマークを、私はじっと見つめた。嗚咽を漏らす彼女を胸に抱き締めな…

彼とは、運命だった。何度も別れ、何度でも恋に落ちた。少し長めの前髪から覗く奥二重の瞳や、薄くてやわらかい唇、見た目からは想像が出来ない高い声、わたしよりも少し大きい手足、どこを触ってもすべて筋肉なのかと思うほどに硬い身体、そして高い体温。…