『不在が存在よりも濃い気配をつくる』

 私は本を読むことが好きだ。本を読むと見える世界が広くなる。それまではただ通り過ぎていたが、本を読むことでいろいろなものが見えるようになる、気づくようになる。

 ただ、時々言葉をうまく理解できない時がある。冒頭の言葉もそうだ。私の中でそういう体験がない、若しくは、あったが気が付かなかった。それまではあったものがないということ、近くにある時にはあることが当たり前になっていて、なくなった時に初めて違和感を感じたり、なんていうのだろう、自分が見ている世界の一部分が欠如したような、ジグゾーパズルの1ピースをなくしてしまったような。

 彼女の頬に影を落とす黒い睫毛を見つめながら、もう年の瀬であることと、同じ時代に生きて言葉を交わすことのできる喜びについて考えていた。こうしている間にも「今」は「過去」になってしまうわけだけれど、もしも過去に「今」を選んでいなければ彼女とこんなにも心を通い合わせることはできなかったかもしれない。

 帰りの電車の中で、彼女が教えてくれた『袖振り合うも多生の縁』という言葉を反芻した。偶然隣り合わせになったおじさんとは何の縁があるのだろう。過去世では自分の勤め先の常連だったとか。いやでも、きっとこれからの私の人生でこの人とまた出会う確率は相当低いだろうし、過去世でもそのくらいの距離感だったのではないだろうか、例えば私の出張先で食べたラーメン屋の店主とか。

 数えきれないほどある選択肢の中からこの仕事がしたいと思い、そのためにこの学校に通うと同じ道を選んだ彼女とは、きっと前世でもカレーを食べながら仏教の話をしていたと思う。何度も同じような話をするけれど、彼女と出会えたことは本当に奇跡だ、いや、彼女だけではなくて中学の時からの親友や、遠く離れたところにいる彼や、ちょっと頭のネジが外れているのではと思う男友達もそうなのだけれど、特に彼女は、だ。性格は正反対だ。私は(自分で言うのもなんだけれど)博愛主義でみんなが幸せなら私もうれしい、自分が笑顔でいることが周りに良い影響を与えると本気で思っているが、彼女は割と他人には冷たいし、めったに笑わないし、周りを蹴落としてでも這い上がりたいと思っている(ように見える)。見た目も雰囲気も似ても似つかない。しかし、周りのいろいろなこと、自分のルーツだったり仏教だったり生と死について興味を持っていたり、疑問を抱いて自分のなかでの答えを導きだそうとしている人に出会ったのは初めてだった。彼女は私に対して容赦がない、違うと思ったら違うと言うし、もう仲良くしたくないと思ったら縁を切ると言う。私には到底できないことだ、尊敬している。個人主義なところは同じだけれど、損得を考えているようで他人にそれを知られるのは自分にとってデメリットだなと(ここでも損得を考えているのだが)思い面には出してこなかったのだが、彼女は嫌なことは嫌と言うし、対象がモノでも人でも自分にとってデメリットだと思ったら潔くやめる。本当に素晴らしいと思う、といったことを彼女に話したら、私はこの性格で何人も傷つけてきたし自分も傷ついてきたと言っていた。隣の芝生は青い。

 冒頭の話に戻るが、『不在が存在よりも濃い気配をつくる』がやっと私の中で咀嚼できた。私は今事情があって学校に通っていないのだが、彼女もクラスメイトも「いない」時のほうが「いる」時よりも私のことを考えると言っていた。私も同じような気持ちになることはあるが、彼女たちが「不在」なのではなく私が「不在」なのだから、私が感じている思いではなく彼女たちが感じている思いのほうが、『不在が存在よりも濃い気配をつくる』に近いのだろうと思う。そこにいるのがあるのが当たり前だったこと、あったこと、この世にあるのだと知ってしまったこと。知らないほうが幸せだったこと、知らなければ幸せになれなかったこと、知ってよかったと思うこと。

 夢を見た。彼が、私の親友と付き合っているという夢だ。彼が記念日を忘れたのだと涙を流す彼女を慰めながら、彼がつけたのだろう、モノトーンのカレンダーに映える、記念日を囲う赤いハートマークを、私はじっと見つめた。嗚咽を漏らす彼女を胸に抱き締めながら、言い知れぬ不安と寂しさで押し潰されそうだった。

 夢と現実の境目を彷徨いながら彼の名を呼んだ、何度も、何度も。電話を繋いだまま眠りに落ちてしまったらしく、私の「はるくん、はるくん」という嗚咽交じりの声を聞いて起きた彼が「どうしたのあやちゃん」と、まるで小さなこどもをあやす時のようなやさしい声で言った。わたしは、気を付けなくては、と思った。気を付けなくては、彼を好きになってしまう。わたしは知っている。男は好きだと嘘をつく。

 彼とは、運命だった。何度も別れ、何度でも恋に落ちた。少し長めの前髪から覗く奥二重の瞳や、薄くてやわらかい唇、見た目からは想像が出来ない高い声、わたしよりも少し大きい手足、どこを触ってもすべて筋肉なのかと思うほどに硬い身体、そして高い体温。彼を見つめるたびに、彼に見つめられるたびに、彼に触れるたびに、彼に触れられるたびに、彼とわたしは、根本的に、まったく違う人間なのだということを認識し、それと同時に、彼とほんとうの意味でひとつになることはきっと一生出来ないと感じる。彼が男でわたしが女だということはもうどうでもよくて、というよりもそれ以前に、顔を見た時から、ふたりきりになって彼が発するあまったるい雰囲気に触れた時から、ああ、わかりあえない。そう思ってしまったのだった。どれだけ傍にいても、溶けてひとつになってしまうのではないかと思うほどに抱きしめられていても、うれしさというよりは、ずっと悲しい気持ちのままだったような気がするし、初めて出会ったときから今に至るまで、もしかするとたったの一度もうれしいと感じたことはないのかもしれない。胸が締め付けられるような、自分にとってたいせつだったなにかを失って心にぽっかりと穴が開いたような、時にはこの胸が張り裂けてしまいそうなかなしみに支配されながら、彼の愛情を享受し、いつの日か必ずやってくるであろう別れの日を少しだけ待ち遠しく感じつつも、彼の笑顔を横目にわたしは今まで生きてきたのだ。